なぜ国際協力×アドラー流コーチングに至ったのか?
こんにちは!
国際協力、途上国で挑戦する人を応援するメンタルコーチの
ひーやん です!
前回から結構間があいてしまい、ややブログの継続に行き詰まりかけている感があるので(^_^;)、
ここらでちょっとテイストを変えて今回は
「なぜ、自分がメンタルコーチになろうと思ったのか?」についてお話したいなと思います。
なんでこんな話をお伝えしようとしたかというと、実は結構な頻度で初対面のクライアントさんには、コーチになろうとしたきっかけについて聞かれたりします。
特に国際協力×コーチング??と思われるようです(^_^;)
また、やっぱりコーチングを受けるクライアントさんの立場からしたら、
コーチがどんな人なのか?
どんなきっかけでコーチになって、
どんなクライアントさんをサポートすることに情熱を傾けている人なのか?
は気になるかと思いますし、スキルも大事ですが、それ以上にそのコーチが自分を本気で応援してくれると思えるような情熱を感じられるような人か?という点はとても大切なんじゃないかなと思ったからです^_^
本日のお話
1.コーチングを学ぼうと思ったわけ
2.コーチング活動を通して目指していること
1.コーチングを学ぼうと思ったわけ
自分の場合いくつかのきっかけが重なってコーチングのスキルを手に入れたい!と思うようになりました。
最も大きな動機は、アジア各地で見てきた、いわゆる不遇な子供たちの役に立ちたい!そのためには、人の意識がより広い視野で見られるように変化していくことが欠かせないのではないか?と考えたからです。
国際協力の活動をされている方やそこを目指すような方々の多くが、
「(そのような状況の人々に)出会ったから」という原体験をお持ちの方も多いのではないかと思います。
自分の場合もそうでした。
当時、商社マン(今、そんな風に呼ぶのかな??)としてアジアの各地を飛び回っていた頃、ちょくちょくストリートチルドレンと呼ばれる現地の子供たちを街中で、時には夜中でさえ見かけていました。
そんな日々の中でインパクトが最もあったのは、フィリピン・マニラでの車中のできごとでした。
空港から街中に入る移動中、渋滞に巻き込まれて乗っていた車が止まってしまいました。その途端どこからともなく、小学生くらいであろう、たくさんの子供たちがワラワラと出てきました。
そして渋滞で動かない車のところへ、まるで担当の車が決まっているかのように近づき、窓をノックしては、窓ガラスを拭いたり、他愛もない民芸品やたばこを1本単位で売ったりしてお金を得ようとしていました。
自分の車に来たのは、日本人でいえば、小学生の3-4年生くらいに見えた女の子でしょうか?、その腕には弟であろう赤ん坊が抱かれていました。
窓ガラスをノックしてきたので、彼女の商品を買おう(たがだか数10円だと思います)と窓を開けようとすると、運転手の人に言われました。
「まあ、それを買ってあげてもいいけど、ここの子供たちはこの「商売」を続けていることでたくさん事故にあっているんだよ」
瞬間、身体が固まってしまいました。
顔を窓に向けられず、うつむいて繰り返されるノックの音を、ただ、ただ聞こえないふりをするしかできません。どうしていいか分かりませんでした。
そんな長いような短い時間の中で感じたのは、どこに向けていいのかわからない、何かが間違っているという大きな怒り、そしてそれに対して全く何もできない自分に対しての圧倒的な無力感でした・・・
・・・それから月日は流れ、あのような子供たちが少しでも減っていけるような世の中に向かうことへ役立てるような仕事がしたいとの想いから商社を辞め、環境系の会社へ転職したり、仲間とベンチャーを起こしたりした経緯を経て、水処理装置の会社でのカンボジアの農村地帯でのプロジェクトに関わりました。
そこでもまた、あの時の子供と変わらないような子供にたくさん出会うことになったのです。
車の外からお金をねだる子供を見て
「ああ、まただ。自分はまだ何にもできていない・・」
ある種の絶望というか大きな落胆を再び感じることになりました。
一方で、プロジェクトの実施においては、そんな貧しい人々の状況をまったく顧みないばかりか、助長するようなことばかりして、自分とその周りの小さな世界だけを大事にするような、現地の権力を持つ人たちとも出会いました。
自分は国際協力活動をしている!と言える程の人間ではありませんが、このプロジェクトを通して感じたのは、途上国での「貧困」は複雑な状況が入り組んでいて一筋縄ではいかないということ、
でも結局はよく言われるように“教育”(道徳感)がその解決の根本となるのではないか?ということでした。
さらには他人に対する意識の持ち方や視点の高さへの変化が多くの人に起こらない限り、現地の権力者たちと同じように、自分とその小さな周りの利益だけを求めて争うことが繰り返されるのではないか?と感じました。
人の意識の変化を促すって?そんな大それたことはよっぽどのインフルエンサーやそれこそ権力でもない限り難しいんじゃないか?と思っていた時に出会ったのがコーチングでした。
自分の師匠のそのまた師匠の公開コーチングをたまたま見て、あっと言う間に目の前の人が、自分の中で大切にしたいことややりたいことや問題の本質に辿りつき、行動へのやる気に満ちていくのを目の当たりにして、 「これだ!!」って直感しました。
よくよく調べるとアドラー心理学の考え方、
特に「共同体感覚」をバックボーンとしたコーチングは自分が探していた「人の意識がより広い視野で見られるように変化していくこと」へのきっかけとして、このコーチングはぴったりだ!と感じました。
2.コーチング活動を通して目指していること
自分がアドラー流のコーチング活動をすることで目指したいのは、あのアジアで見てきたような子供たちが、自分たちの夢に向かって夢を追い続けられるように周りの大人たちが支える社会の土台を作ることです。
アドラー流のコーチングではクライアントさんに「自己受容感」、「他者信頼感」、「所属感」、「貢献感」を高めていくことを考慮しながら、本当にその方がやりたいことを見つけ出し、より早く実現していくことをサポートするものです。
カンボジアで出会った自分のことしか考えられないように見える権力者のような人たちも、これまでの人生で勇気をくじかれた体験を重ねてきた結果、視野が狭い選択や行動をとっているだけで、きっとこれからの体験によっては、その権力をつかって同じ地に住む人々への貢献をすることへの喜びに目覚めることはできるはずと信じています。
本当は、現地で出会ってきた権力者のような人たちにコーチングで、「あなたが心からやりたいことは本当にこれなのか?もっとちがうことなんじゃないのか??」と彼らの幼少期から振り返ってのセッションをしたいところですが(笑)、コーチングはクライアントさんとの二人三脚で成り立つものなので、簡単ではなさそうです。
なので、周りの人たちから変わっていくこと、つまり協力しあうことによって結局は豊かになるし、幸福感を得られるんだ、という人々が増えていくこと、また、国際協力の活動に興味をもつようなそういったマインドを持つ人たちの活躍をサポートしていくことにメンタルコーチとして関わることで、自他尊重しながら共通利益を探るようなコミュニケーションをする人が増えて、その人の周りにいる人にも良い影響を与えていく、そんな連鎖の基となるような人々をコーチングによってサポートしたいと思い活動を続けています。
また自分は、アドラー心理学をベースとしたスポーツメンタルコーチングも学んだのですが、これはスポーツというツールが国際協力の活動においてとても有効そうであると感じたことや、アスリートと国際協力のマッチングにもつながりそうだと考えたからです。
・・・そんな訳で、アドラー流のコーチングを学び、国際協力に携わる方、スポーツに関わる方、またご縁が生まれた方々にコーチングをさせて頂きながら共に成長している日々です。
何となく、なぜ国際協力なのか?が少しでも伝わっていたら嬉しいです!
また今度、国際協力の活動の方々に対して、コーチングでどんな事をテーマとしてサポートできるのか?についてもお伝えしたいと思ってます^_^
今回は長文の上、暑苦しさ全開で失礼しました(^_^;)
今日も最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました!!
【プロフィール】
梶 博之 (ひーやん)
✓東京都在住 ✓平日昼はサラリーマン
✓平日夜、休日でメンタルコーチとして活動中。
✓国内外での国際協力分野、スポーツ分野の方々を中心にコーチング活動を実践中。
✓約15年間の商社時代ではアジア・欧州を中心に海外を飛び回る。
✓現地で多くの不遇な子供たちに出会い、価値観に合った仕事を求め転職。
✓微生物資材会社および、ベンチャー企業経営において環境浄化への仕事に携わる。
✓カンボジア農村部における給水システムの事業化検証に3年間携わるも事業化は失敗。
✓多くの現地の人々や支援者と関わる中、貧困の根本は教育(=人の考え方・意識)にあるとの自分なりの仮説を持つ。
✓アドラー流のコーチングによるコミュニケーションの普及が、人の考え方や、意識の変化を未来の貧困の改善につながっていく可能性を感じ、コーチングを学び、現在に至る。
自分が国際協力の活動にコーチングのスキルを用いるきっかけの一つとなったエピソードをこちらのサイトに書いています。よろしければこちらも^_^
*************************
〜体験コーチングを受けてみたい方へ〜
とメッセージを頂ければ、詳細ご連絡させて頂きます!
************************